お風呂なしのお部屋だし、お家賃は彼の給料で十分支払える金額です。
それでも家賃の全額を支払えなくなって来た。
これは困る。
(給料をギャンブルに回しているのだ)
それに、私に話をするようになってから、甘える気持ちが出てきたのを感じた。
自分自身にも甘いのだろう、
こういう甘えの気持ちがギャンブルを途中で止めることが出来なくて、相続した家を売ってまで借金の返済をしなければいけなくなった原因だと思う。
根が深い。
そこで私は彼に提案した。
「給料が出たらその日に賃料を持ってきて下さい。
賃料が遅れる状況を私は見過ごす訳にはいかないし、オーナーさんに対しての責任もあるから」
「はい、分かりました」と彼は返事した。
まじめな所もあり、それからは給料が出ると持って来るようになった。
その4ケ月後彼が来た時、お願いがあると言う。
「手元にあるお金は全部使ってしまうので、お家賃とは別に5千円を預かってもらえませんか?」
「預かるのは構わないけれど、どのような形で預かるの?現金で預かるの?その方法はどう考えているの?」
「通帳とカードを持ってきました。この中に入れて持っていて下さい」
通帳を預かるなんて、ちょっと変な気分がする。
しかし、5千円でも毎月溜まれば増えていく。
まさかの時、彼にとっても役に立つことがあるかも知れないと思って引き受けることにした。
通帳をコピーし、現在高(¥1,983-)と、預かり証を書いて彼に渡した。
それから彼が家賃を持って来る度に、通帳を見せ残高を確認してもらい、コピーを渡した。
10ケ月位して、通帳に5万円たまった頃、彼から、
「お金を全額下ろしたいのです」と言われた。
「これはあなたの通帳だし、お返しするのは構わないけれど、何に必要なお金か聞かせてもらっても良いかしら?」
「はい」
「お寺さんから手紙が来て、墓地の管理費が溜まっているから支払って欲しいと書いてあった。
それに、両親の墓参りにもズート行ってないので、花を買ってお参りしたいと思う」と言う。
「そういう事なら安心したわ。ご両親も喜ばれることでしょう」
彼に通帳とカードを返した。(少しでも貯えがあってよかった)
次の給料日の日、いつもの様に彼はお家賃の支払いに来て、
「お寺さんにもお会いして貯まっていた管理費をお支払いしました。
お墓の掃除もし、花も供え安心しました」
「良かったわね、私も嬉しい」と話した。
その次の給料日に彼は来なかった。
おかしいナーと思い、同僚の配達人に聞いてみた所、
「〇〇さんはこの5日程出てないんです。携帯にも出なくて。
以前、時々胸が苦しいとか言ってたなー。
本人は大したことは無い。すぐ直るんだ、と言ってました」という。
何か嫌な予感がした。
「〇〇さんのお部屋を見るのに、警察の人に立ち会ってもらうから、あなたも一緒に立ち会ってくれない?」
「はい、いいですよ」
私は派出所に連絡し、警官に来てもらった。
鍵を渡し、警察官が部屋の中を見て、
「亡くなられています」と言う。
そして、警察官から、○○さんへ(私の名前)という封筒を渡された。
中に、「有り難うございました」と、短く一言書かれていました。
私は一瞬、心が固まって息が出来なくなってしまった。
彼は、自身が病気だという事は私に話さなかった。(なぜだろう?)
自分では体の具合が悪いことは分かっていたはずなのに、なぜ病院に行かなかったのだろうか?
通帳からお金を下ろして、花を持ってご両親の墓参りをした時は、自身の死期を悟っていたのではないだろうか?
彼の人生の最後のほんの一部の出会いだったけれど、
彼はどうして、あのような孤独な、切ない人生を歩んだのだろうか?
これではいけないという事を自分自身でも分かっていたはず。
でも、なぜ立ち直ろうとしなかったのだろう?
その気持ちさえ失ってしまっていたのだろうか?
家賃を持って来る度に、私と会話したよりも、
もっと、深い深い闇を彼は抱えていたのだろう。
そうした深い心の内を、彼の人生の中で話し合える友人は居なかったのだろうか?
私に何が出来ただろうか?
私が、彼の闇にまで切り込んで話すことは、私の仕事としてはあまりにも荷が重い。
ギャンブルの中では、彼は自分自身を表現し、心を解放する事が出来たのだろうか?
彼は、自身の闇を言葉にすることなく逝ってしまった。
私には考えても分からない、理解の出来ない事だけれど、
なぜか私の心に染みる思いです。
検視の結果は心臓麻痺だった。
彼の遺骨は叔父さんが来られ引き取られました。