63 忘れられない賃借人(7-4)

夫に話すと、

「えー!引き受けたのか」

 

「大きな問題がある部屋なのに、やめとけばよいのに、

大丈夫か?

心配だよ。

工事代金を完済する前に、国税が債権回収を実行したら、こちらは損失が出るんだよ。

彼からは何も回収は出来ないよ。いいのか?」

 

 

「うん。

そのリスクがある事は分かっている。

飯田さんが苦しい中で頑張っている事に、私の気持ちが負けたのネ。

 

工事代金は私の貯金から出して、損失が出たら私が被るつもりなの。

 

心臓の病気になり、家賃を持参するたび、

そんな彼を見るのが私自身辛くなって来たの。

 

そりゃー、お金に困り、心労が重なって、こんな状況を招いたのは

飯田さん自身だから、

見捨てることも出来るけれど・・・

彼を助けるのは、本当は身内の人よね。

大家の私じゃない事は分かっている。

 

でも、飯田さんは大家を騙そうとしているのではなく、

何とか働いて家賃を払おうとしている。

 

落ちぶれてしまい、病身になり、それでも頑張って生きようとしているその姿、

 

生きることに対しての誠実さに私は負けたの。

 

私は君子じゃないから、危うきに近づいたのネ。」

 

「そうか、そこまでの気持ちなら、もう何も言わないよ。

でも、そんな君の優しい気持ちは好きだよ。

僕は、彼を助けるのではなく、君の気持ちを大事にしたいと思う。

工事代金は僕がだすよ。」

 

と夫は言った。

 

「いらないわよ。私にも貯金はあるから。」

 

「まあ、どちらでもいいよ、どうせ我が家は財布が一つだから」

 

「決める前に相談しなくてごめんネ。

あなたからは必ず反対されると思ったから。」

              

「いいんだよ」

 

 

早速改装工事に入った。

 

お部屋は和風だったから洋風にして、間仕切り引き戸は今風のオシャレなのに取り換え、

部屋は壁紙でアクセントをつけた。

 

使えるものは使い、エアコンなどは新しくした。

ちょっと素敵なお部屋になった。

 

飯田さんに見せたら、

 

「見違えた。

募集賃料より高く貸せるんじゃないか」と言う。

 

私は彼に言った。

 

「飯田さん、このお部屋の登記簿謄本は、

他の不動産業者も手を出したくないビックリする内容だという事は、

誰よりもあなたが一番良く知っている事でしょ!

 

もし、国税が債権回収を実行に移した場合、

お客様に迷惑がかかります。

 

国税の債権回収が何時になるか分からないけれど、

 

もし、その時が来た場合、

 

私は

貴方を救う事は出来ません。

 

貴方の現状のつらい立場は理解しますが、

私はあなたを見捨てて、賃借人さんを守ります。

 

この事は、貴方もよーくよーく承知して、覚えておいて欲しいことです。

その時は、覚悟して甘える気持ちは捨てて下さい。

 

このお部屋の募集内容は、お客様に正確に告知しなければならない事です。

 

その事を考えれば、

この価格でなければ私は受けられません。

 

この賃料が不満なら、私は手を引きます。どうします?

 

と言ったら彼は

 

「はい、分かりました」と、すぐ欲望を捨てて納得した。

 

(少しでも収入が欲しい気持ちはわかるが・・・状況はそんなに甘くない)        

 

工事が仕上がり、早速募集をした。

 

相場より安く設定してあるので、問い合わせは多くあったが、

内見する前に告知し、それから内見してもらった。

 

内見一人目の若いカップルが、早速申し込みたいという。

 

(お部屋はおしゃれな内装になっているので、〈自慢じゃないけれど〉若い方なら

見れば気に入ってもらえると思っていた)

 

申し込み時点で再度物件の事情をよくよく承知してもらった。

(部屋で誰かが亡くなった、という事故物件ではなく、幽霊は出ませんよ。と伝えた。)

 

契約書にも記載し、

承諾書も取り交わし、十分納得してもらってから契約した。

 

その後も家賃が相場より安いので、問い合わせは多かったが、

お断りをしなければならなかった。

 

断った相手は残念がっていた。

 

入居頂いたカップルには2年半借りて戴いた。

 

その次の入居者もカップルだった。

1年半で出たが、転勤だという。

 

「ここは良かった。戻ってきたら又お願いしたい」と言われた。    

 

次の募集はしなかった。

 

飯田さんの一人息子が結婚し、二人でその部屋に住みたいという。

彼は息子から家賃をもらうそうだ。

 

結婚というおめでたい話でこのお部屋の募集は終わった。

ヤレヤレ良かった。

 

賃料から工事費を支払い、そのあとは彼の収入になった事は感謝された。

 

私も解放された。

 

「もうコリゴリ、次回は面倒見ないわよ。」

 

と内心思った。